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創作小説 よしぞー堂

創作小説 よしぞー堂

年寄りの 冷や水照らす 春の午後 16枚




 年寄りの 冷や水照らす 春の午後
 

 私はベンチの背もたれに体を預けて周囲を見た。
 平日の昼間だから、人影は少ない。そんな日もあるだろう。休日には、バトミントンをする者や、子供連れの夫婦、ペットの散歩やらで賑やかだ。中央広場から少し外れた休憩所だから、こんなものか。
 ふたつのベンチと灰皿だけなのは寂しいが、木々に囲まれ、静かで涼しい。好んでこっちに来る人もいる。中には変わった人もいる。ナイフのような歯を持ったペットのワニを、散歩させに来る人が居る。会社の役員の佐々木さんだ。ワニの首にはリボンと首輪。堂々と散歩をしている。最初は宇宙人な気がしたが、挨拶を交わして半月経てば、ワニにも馴れた。何を考えているかわからない目や、体をくねらせる姿が、可愛らしく見えるのだ。
「挨拶をしなさい」
 佐々木さんがそう言って、鱗が並んだ頭を撫でる。ワニは口を開くと、挨拶をしてくれる。
 ワニも良いかな、とも思う。
 私も若い頃はワニと同じだった。腹が減れば容赦なく獲物に噛みついて引きちぎり喰う。そうしなければ生き残れなかったのだ。
 実の父親は酒飲みでヒロポン中毒のろくでなしだった。酔っぱらうと、戦争でいかに自分が残虐に敵兵を殺したかを延々語った。母親は他の男と消えた。
 みぞれ混じりの雪が夜の闇に静かに降っていた日、私は兄と共に駅に捨てられた。誰も助けてくれる者はいなかった。手を差し伸べてくる者のだいたいが、利用するだけ利用して去った。同じ立場の子供達と時に徒党を組んで、時に協力し、時に縄張り争いで喧嘩をした。生きる為に物乞いをし盗みもし、ネズミを喰らって泥水をすすった。腹を鳴らしながら灰色の風景の中で、私たち三人はゆらゆら息をしていた。運良くひとりで生きられるまで成長すると、私たちは別々の主人に拾われた。だがふたりの兄はすぐに殺された。割れたビール瓶が顔半分に刺さって息絶えた長男を見た。血の上で正座をし、裂けた腹から内蔵を垂らし、真正面を睨んだまま息絶えていた次男も見た。四十年経った現在も犯人は見つかっていない。目星はついているが。
 敵討ちをしたいのは山々だが、相手は力を持った組織の幹部で、下手に手を出せばこちらが食われる。私は殺された兄たちに謝りながら、歳を取った。もう少し待ってくれ。けして忘れてはいない。
「あらおひさしぶり」
 煌めいているような声が聞こえ、顔を上げた。
「あぁ三上さん。お久しぶりですねぇ」
 顔を上げると、茶色い髪を後ろで一本に結んだ三上さんが目の前で笑っていた。もう二時頃か。三上さんの服を掴んで離さない、さとる君もいた。私はいつもと同じく微笑んだ。照れているのか三上さんの背後に隠れてしまった。
「さとる、ちゃんと挨拶しないと駄目でしょ」
 三上さんが髪を揺らしながら諭すと、さとる君は前に出て来た。
「こんにちは」
 頭を下げ、挨拶をしてくれた。
「こんにちは」
 私は答えた後、ポケットから飴を出した。さとる君は自分の首の後ろで手を組んでいたが、飴を見ると私の手から取って幼い笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
 三上さんがお礼を言ったので「いえいえ」と返す。
 そのあと三上さんの愚痴を聞く。けして嫌ではない。些細な事でもそういう俗世間との繋がりが心地良かった。亭主の給料が安い、嫁姑問題、出したゴミをチェックするおばさんに辟易している。他愛ない愚痴を言う三上さんに対し、娘をみるような気持ちで「あぁ、そうですか、それはいかんですなぁ」と答える。三上さんは満面の笑みを見せてくれる。病気で亡くした娘を思い出してしまう。人間の敵は人間だけではない。
「あらぁ天堂さん、二週間ぶりぐらいじゃない?」
 三上さんの背後から声が聞こえた。見ると神田さんだった。
「また愚痴聞いて貰ってるの?」
「そうなのよ。天堂さんに聞いて貰ったらすっきりしてねぇ」 
 三上さんはそう言って神田さんの肩をぱふっと叩いた。ふたりは同じマンションに住むお隣同士で、友達なのだ。神田さんは細い体を揺らしながら、いつも静かに微笑んでいる。いまにも貧血で倒れそうな気もするが、学生時代は長距離の選手だったらしい。言われてみるとただ細いだけではない、腕や首の筋肉が締まっているのに気づく。その神田さんは時折、思いつきをそのまま口ずさみ自分で照れるという変な癖があった。例えばこのまえは「今の生活が一瞬でくずれるようなこと銀行強盗とかしたいな」三上さんに「またなにか言ってぇ」とすぐに笑われる。神田さんは「つい、でちゃうの。ほんと子供の頃からの癖なの」と笑う。その三上さんが言ったことで今でも心に残っている話がある。
「子供の頃からなんだけど、闇に向かって走っている夢を何回も見るの。なんだろうね」
 同じだった。私の場合は闇の中を歩いている夢だ。やがて先に光を見つける。最初は蝋燭の炎より小さいが、近づくにつれ光は広がりを見せる。そばまで行くと外から入ってくる光なのがわかるのだ。私は喜び勇んで光の中に飛び込むが、そこにも闇が広がっているという気分が悪くなる夢だった。
「じゃぁそろそろ買い物行かないと。さとる、てんどうさんに挨拶して」
 私はさとる君にバイバイと手を振った。さとる君も振り返してくれた。遠ざかる三人の背中を見送ったあと頭上を見た。梢から光が漏れていた。


「てんどうさん、こんにちは。きょう、よいてんき。すごくきもち、いいね」
 ぼんやり指回し運動をしていると、素っ頓狂な甲高い声が聞こえた。指回し運動を続けながら右に顔を向けた。自転車に跨ったキムが、人なつっこい笑顔を浮かべていた。
「あぁ良い天気だ、本当に」
 指回し運動を止めて答えると、キムがポケットから百円ライターを出した。自身の目の前に持ってきて、かちかちっと何度も擦る。何が楽しいのか、飛び散る火花を無表情でじっと見つめている。目を糸のように細め、ライターを擦りながら口を開いた。
「ぼく、にほご、うまくなった。てんどうさんと、まいにち、しゃべるしてから、うまくなてる。にほごむずかしい。でも、ぼく、うまくなてる」
 キムの顔に笑顔が浮かぶ。
「そうだな。おぼえがはやいな」
 出会った頃はこんにちはとしか喋る事ができなかったのに。日本に来てもう一年になる。私は薄暗い不安を感じている。金の無い外国人が辿り着くのはいつも決まっている。中国系マフィアと関わっている事は知っている。今は敵ではないが、もしかしたら将来やり合うかもしれない。だからこそおせっかいになる。情が生まれれば油断が生まれる。キムも同じ事を考えているかも知れない。本当ならキムがまっとうな人間になって、私と関わりの無い人生を送ってくれるのが一番良いのだけれども。 
「あんまりやんちゃするなよ」
 釘を刺すとキムは眉間に皺を寄せ、難しい事を考えるような表情になった。ライターをかちかち擦りながら、やんちゃやんちゃと呟く。
「にほご、やっぱり、むずかしい。やんちゃってなに」
「無茶するなって事だ。ろくでもない事になるよ」 
 キムはしばらく考えていたが、唐突に表情を緩ませて大声で笑いだした。
「だいじょうぶ。ぼく、へましない。だいじょうぶ。だいじょうぶ、きまってる。ほかのひとしらない。でも、ぼく、だいじょうぶ」
 去っていくキムの背中を見つめながら、強盗をして殺された奴を思い出した。高利貸しに火をつけその隙に金を奪ったのだ。そいつも大丈夫と言っていた。弁天様が守ってくれると背中の入れ墨を見せてくれた。
 闇市の混沌とした臭い、米や味噌や鉄や木や酒の匂いの混ざる懐かしい臭いが、鼻先に漂った。顔を拭って顔を上げるとキムの姿はもう何処にもなかった。
 欠伸をすると、腕を組んだ学生らしいカップルが仲の良さを見せつけるように私の前を通り過ぎ、隣のベンチへ座った。ふたりとも、青いさくらんぼのように幼く頼り無かった。小僧の方はアメリカかぶれのゆったりとした服を着ていた。娘が赤く短いスカートから、黒い足を伸ばした。娼婦のようだ。それにしてもそのメイク。目や唇の周りが真っ白く縁取られている。可愛らしい顔が化け物になっている。最近の若い奴らというセリフは、私がガキの頃からあったがそれにしても。呆れていると私の視線に気づいたのか、小僧が顔を向けてきた。にやりと笑い、あろうことか娘とくちづけをはじめたではないか。舌と舌が絡み合い、唾液と唾液が混ざり合う音が聞こえて来る。そのあと私を見てふたりが笑った。
「じじいー、見てんじゃねぇよー」
「きゃはははは。じいさんからかってんじゃねぇよー」
 即座に顔を逸らした。見せていたのではないのか。文句を言いたかったが、無駄な喧嘩をする元気もない。面倒だ。私も若い頃は恐い者しらずの馬鹿だったではないか。似たような者だと思えば許せる。相手にしないで居ると、飽きてしまったのか小僧たちは去っていった。
 そして私しか居なくなった。 
 背もたれに身を預け、長い息を吐いた。目を瞑り、悩ませている問題を考えた。同じ様な問題は今までもあった。ただ運命は魔物だ。計算通りに動いてはくれない。言うことを聞けとがなりたてた所で、どうにもならない。どうすれば良い。ルービックキューブを解くように、頭の中で問題を整理する。ひとつの事が解決すると、別の問題が浮上して来る。
 結論を導き出して目を開けた。
 そろそろ時期か……。
 何人か臭い飯を食うことになるかもしれないな。
 汗の染みた作業着と生ごみを混ぜ、その上に砂をばらまいたような臭いが鼻先に漂った。近づいてくるのは分かっていた。顔を上げると顔が真っ黒く煤けた男が、目の前に居た。髪と髭が脂ぎって光っている。何処からどう見てもタダのホームレスだ。殺気はない。気配も微か。殺気がないのに気配が微か。だから恐い。寒気がした。たぶん気づいていなかったら、殺されていた。相手も分かっているんだろう。下手に動けば自分が死ぬ事を。
 目が合った。白い部分にイソギンチャクの触手のような血管が、無数に走っていた。唾液を飲んだ。生ぬるい汗が頬を垂れる感触。鳥の羽ばたきが聞こえた。
 懐に手を入れる。ホームレスの腕が動く。銃。向けられた。ドス。抜く。切る。居合い。ぼたり。手首が落ちた。
 さすが備前の名匠に頼んだだけはある。
 ホームレスが残った腕を伸ばして来る。先が光る。ナイフ。避ける。ホームレスの手首を掴む。捻って倒す。ホームレス仰向け。手を、懐に入れた。やばい。体、ずらす。銃口。暗い。銃声。小さい。サイレンサー。外れた。ホームレス。笑う。足。上がる。後ろ周り? 
「逃がすかよ」
 おもいっきりホームレスの顔を踏みつける。ドスを持ち直す。切っ先は下。降ろす。狙い。目。ドス。刺さる。脳まで。
 ホームレスの足が痙攣した。葉が擦れ合う音が聞こえた。私は息をついた。もつれ合ったときポケットから転がり出た携帯電話を取った。周囲を警戒しながら呼吸を整え、電話をした。
「あー斉藤? やっこさん思った通り手を出してきやがったよ。すぐに来い。一応身代わり見つけといてくれ。ちゃんとまとまった金渡してやれ。ピンハネすんなよー?」
 返事はない。構わず電話を切り、死体の足を掴んだ。引きずりながらベンチの後ろにある森へ入った。運がいい。誰にも見られなかった。警察沙汰になると動きが鈍くなる。隙をつかれやすくなる。死体は証拠になる。戦争の大義名分ができる。誰に雇われたかは調べればすぐに分かる。まぁ決まっているだろうが。
 死体を木陰に置いた。刺さったままのドスが揺れた。間抜けな姿だから笑った。甘いよ。じじいなめるな。
 それでも体の節々がうずく。殺し屋は痩せている。とはいえ人ひとり引きずるのは重労働だ。腕と足が痛い。胸が重苦しい。動悸が止まらない。このままぽっくりも良いかな。あぁ敵討ちしないといけないからまだ駄目だ。
 私は死体の隣に座り目を瞑った。ひんやりした空気が火照った体に心地よい。あとは部下が始末してくれる。携帯電話から、北島三郎のコブシの効いた歌声が流れた。出ると斉藤だった。
「なんだよ切ったばかりなのに」
「だから……だからひとりは危ないって言ったじゃないですか!」
「うるせぇよばーか。子分は親のやることに文句言ってくるな」
 斉藤の怒りで震えた声に苦笑してしまった。食い扶持が無くなるから怒っている訳ではないだろう。ときおり実の親でも見るような目を向けて来る。おまえ本当にやくざか? 訊きたくなるが頭は切れる。子分の中で、いちばん金儲けが上手い。闇金融をやっているからといって、無理な取り立てはしていない。話も通じすぎるから踏み倒される事もある。だが斉藤さんの所だけはとちゃんと払ってくれる素人さんの方が多い。ただ舐めると痛い目に合う。その気になれば平気で人も殺す。そんなところが気に入っている。
「ほんとぜったい今回みたいな事はやめてください……おやっさん死んだら……」
 計算づくで餌になった。納得してもらえないだろうな。
「あぁあとな、大阪のタニガワ呼べ。あいつなら綺麗に仕事やってくれるだろう。相手さんもびびるだろうよ。しかしあんまりやりたくないよなぁ。そういう時代じゃないよなぁ。でも仕掛けてきやがった。謝っても、もう遅いよなぁ。実の兄貴も殺されてるんだ。兄貴食ったあいつら食ってやる。兄貴食ったあいつら食ったら弔いになるよなぁ。なぁ、そうだろ? 斉藤」 
 返答を待たずに携帯を切って座り込んだ。地面は冷たい。長い息を吐いた。森の空気に溶け、霞み消える。遠くから車のエンジン音が響いて来た。やかましいサイレンの音も。パトカーではない。消防車。火事でもあったのだろうか。ライターを擦るキムの顔が浮かんだ。
 寝転んだ死体を見た。耳鳴りがはじまった。
「明日は我が身か」








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